2012年5月2日水曜日

何故三国志では劉備が主人公のように描かれているのでしょうか?

何故三国志では劉備が主人公のように描かれているのでしょうか?

ふと気になったので質問させて頂きます。



マンガ三国志でも現在放送されているSDガンダム三国伝でも

三国志関係の物では劉備が主人公の様に描かれている事が多いのですが

それは何故でしょうか?



最終的には曹操率いる巍が勝利したと聴きましたが…。



(『ぎ』が見つかりませんでした、申し訳ないです…。)







他の人も書いていますが歴史書である正史「三国志」は蜀漢の出身である陳寿が蜀の滅亡後に晋に仕えて編纂したものなので、魏を正統と書き、蜀漢を尊重し、呉はおまけという書き方をしております。



簡単に孔明死後(234年以降)の流れを書きますと、孔明死後キョウイは度々北伐を繰り返しますがこれはかえって蜀の国力を減退する事になります。

蜀は内部は腐りだし、軍は無理な遠征で疲弊していたので、263年魏の機略にとんだ侵攻にひとたまりも無く降伏滅亡し、滅亡後の混乱でキョウイは死亡、劉禅は魏に送られて監視付きでわずかな領土を与えれて安楽に生涯を終えました。



このころ魏では司馬懿仲達の息子たちが政権を握っており、264年には晋王となり、265年には魏の五代皇帝曹奐から帝位を譲らされ、司馬懿仲達の孫の司馬炎が皇帝となって晋王朝を打ち立てます。



264年、呉では孫皓が四代皇帝となるも、残虐で乱暴で暴政を行ったのでたちまち人心は呉から離れてしまいます。

280年、機会をうかがっていた司馬炎は天下の大軍を持って呉に侵攻。

しかし孫皓の為に死のうとする者は余りおらず、破竹の勢いで晋軍は呉の首都の建業に迫った。

すでにわずかな忠臣は討死し、そうで無い者は戦わずして降伏していたために孫皓はなすすべなく降伏しここに晋が天下統一した。



天下を統一した司馬炎であったが天下統一にうぬぼれて酒と溺れる日々を過ごし、長男というだけで暗愚な惠帝に後を継がせたので、恵帝の時代には再び天下は分裂の時代に逆戻りし、五胡十六国時代へ突入した。



・なぜ三国志モノでは劉備が主役なのか



曹操の政権は結果的に主君から帝位を奪った。

また、曹操は儒教の家元である孔子の子孫の孔融一家を処刑した上に、儒教上不徳とされる行為を行ったものでも実力があると見れば登用するなど儒教からみて道に外れた行為を度々行った。

コレに対して劉備は皇室の分家である中山王の子孫を名乗り、曹操が漢の献帝を殺したという誤報を元に漢の皇帝として即位した。

献帝は殺されはしなかったが実権を奪われ幽閉同然であったから、後世の人々は劉備の蜀漢を正統な漢の後継者としてみた。

このような見地から、蜀の武将を主人公とした講談や伝説が数々発生し、これらでは曹操は常に悪役とされ、そればかりではなく曹操を悪人とした逸話集みたいなものまで登場した。



これらの影響を強く受けた明の時代に歴史書「三国志」を基に劉備・孔明を主人公とした小説「三国志演義」が成立した。

以降、中国だけでなく日本でも三国志といえば「三国志演義」の事となり、多くの講談・小説・現代の映画やマンガ、ゲームに至るまで「三国志演義」に脚色したものや、「演義」の流れを歴史書の「三国志」の流れに一部置き換えたものなどがほとんどとなった。








日本でよく読まれてる三国志はほとんど演義のものです。

演義は羅貫中という人の書いた蜀を主人公とした物語です。

だから劉備や諸葛亮が主人公なんです。







三国志の別の見方をお伝えします。

(子孫達しか知らない話で、三国志にも歴史教科書にも出てきません。)



なぜ、蜀(劉備)が主人公かというと、三国志の近くの時代の王家の、第一分家

だったからだと思います。



後の諸葛孔明~現代の張家の子達は、とても賢くて、国民を大切にする、優しくて

素晴らしい子孫も居ましたが、

劉備は、激しい性格で、単なる嫌われ者(出来が悪く)、本来は、主人公になれる

ような人物ではなかったと思います。



三国志は、司馬遷により書かされたと思いますが、司馬家~蜀家が立派に見える

ように、かなり捻じ曲げた脚色がされたのだと思ってます。



蜀家(劉備)は、王家;姫王~司馬(昭炎)家の第一分家(第一皇帝)だから

西安に置き、一番大切にされました。

(Malaysiaに居る、張(棟梁)家です。ニコラス・チャン、28才>29才になります。)



呉家(孫権)が、王家の第二分家(第三皇帝)ですしたから、あまり戦闘はさせ

ませんでした。

(Burunei辺りに居る、呉家です。アーロン、ウーズン;Fahrenheit、24才位)



魏家(曹操)は、英雄的な活躍をする目立つ戦闘には、戦闘に長けた秦家系

の魏を使い、北方威族(後のチンハーン馬族?)から中国を守ったのだと思います。

(Singarpoleに居る、林家です。林俊傑;Lin-JJ;リン・ジョンジェ、27才位)



私には、主人公はともかく、活躍をしてくれた、魏の曹操くん>林俊傑くんが、

とても可愛いくて、大好きです。



なお、ガンダムアニメは、三国志と、とても深い関係があるように思います。

主人公だったか、ウルザンプリンスというのは、魏(林)家の分家で、韓国の

釜山市近くのウルザン市というところに分家をした、実在をしている林家の

分家で、前代の王子くんがモデルじゃないかと、思います。



今の代のウルザンプリンスは、18才くらいですが、アニメの主人公のような、

美男子というよりは、林俊傑くんに、すごく顔の似ている、とても可愛い感じ

の男の子です。



インターネットのおかげで、三皇帝の王子くん達がわかり、私と違って、才能が

あるので、皆が芸能活動をしています。

1800年ぶりに、時々に励ましたりしている自分自身が、かなり不気味にもなり

ますが、

とても良い子たちなので、歴史だけでなくて、今の王子くん達も、よろしくお願い

します。

なお、私は、これとガンダムのモデル王子の話を、お伝えしたかったか位です。



前の方の回答は素晴らしく、私も勉強になりました。ありがとうございます。







蜀漢正統論というものがありまして、その影響により蜀の建国者である劉備が特別視されるようになりました。



歴史書としての『三国志』は西晋の陳寿が書きました。

西晋は魏の後継国家ですから、陳寿の『三国志』では魏が正当王朝として書かれています。

ここでは帝王の記述である本紀は魏の皇帝しか立てられていません。

蜀の皇帝である劉備・劉禅は先主・後主として伝が立てられていますから、帝王としては認められていません。(まあ陳寿は滅ぼされた蜀の出身ですから、呉の皇帝よりは遥かに優遇されております)



西晋は八王の乱によって弱体化と異民族の流入を招き、一度滅亡した後に江南で東晋として再興しました。

南北朝時代の始まりです。

そしてこの東晋から蜀漢正統論が出てきます。

東晋は皇室である司馬氏の力が急速に衰えた王朝であり、司馬氏の正当性が公然と疑問視される時代でした。

ですから、西晋の陳寿がとらわれたような魏の正統論が後退した時代でもあります。

この時代は華北を異民族が支配しており、南朝の東晋は苦しい立場だったので、そういった自分たちを蜀になぞらえたのです。

東晋の習鑿歯は蜀を正当とすることで、たとえ実力は劣っていても道義として正しい方が正当なんだと蜀漢正統論を発表しました。

これは裏を返せば、実力は華北の異民族王朝に劣っていようと、漢民族王朝である東晋の方が道義として正しく、正当な中華の王朝なんだという価値観なんですね。



この東晋の価値観たる蜀漢正統論は南北朝期の南朝側に代々伝えられ、隋が統一を果たすと華北にまで波及し、漢民族の民衆の一般的な歴史認識になりました。

それが唐代や宋代を経て庶民の常識となり、元の時代には『三国志平話』という劉備が主人公の大衆的な説話集を生み、明の羅貫中の小説『三国志演義』でより洗練された形で完成しました。

現代の三国志に関する著作物の多くはこの『三国志演義』をもとにつくられていますので、当然『三国志演義』の歴史観である蜀漢正統論を受け継いでいることになるのです。

ゆえに劉備が主人公である場合が多いのですね。







他の方が回答しているようにように劉備の出自・戦歴が庶民の心をつかみやすかったということも要因でしょうが、それに加えて曹操の評判が長い間悪かったということがあると思います。

劉備を「正義」とする見方は演義成立前から民衆に浸透していたようで、蘇軾は三国志の講釈を聞きに行った子供は劉備が負けた件になると泣き出し、曹操が負けた件になると喜んだ、と記していますから、少なくとも宋代には成立していました。

一方曹操を「悪」とする見方はそれよりもはるかに古くから存在したようで、正史三国志に裴松之が付した注釈においても、曹操の残忍さ・狡猾さ・滑稽さなどを強調する逸話が散見できます。これらの注釈に引用された書物は曹操没からせいぜい200年程度の間に成立したものです。

これは、魏が短期間で滅んで晋が成立したため、魏の事実上の建国者である曹操を貶める必要があったからではないでしょうか。こういった現象は同じく短期間で滅亡した秦の始皇帝などにも見られます。

また曹操を「悪」とするならば、必然的にそれに対応する「正義」の存在が必要となるわけで、劉備を「正義」とするのはそういった意味合いもあったのかもしれません。







まず今沢山ある物語三国志の大元として「正史三国志」があります。実際は「正史」はついていませんがここでは敢えて。

「正史三国志」は陳寿が著者とされています。



成立したのが晋の時代であるので晋が魏から帝位を禅譲という形で譲り受けたので魏を正統としています。

しかしながら、陳寿はもと蜀にいたことがあり、裏テーマとして蜀をそこはかとなく際立てて描いていると言われます。

時代が移り行くにつれ、「民を大切にする」ところで劉備に次第に人気が移りました。

そこで成立したのが「三国志演義」です。ここで劉備に主眼がおかれます。

それがなんやかんやあって日本につたわります。

こんなもんではだめでしょうか(^^;)







三国志の劉備と水滸伝の宋江には共通点があります。

どちらも本人は豪傑ではなく、どちらかといえば平凡な人間で、しかも本人はそれをよく自覚している。

これは、中庸の徳と言って、中国人がもっとも尊ぶ個性なんですよ。

史実は史実として、物語の主人公にこの人たちを置いたのは中国の一般庶民の好みを反映してるってことですね。







元祖の三国志が劉備を主人公としているから。って答えでは面白くないでしょうから、私なりの見解で回答します。

まず、曹操。父が朝廷に使える身分の高い人であった。孫権、孫氏の血を次ぐ名門。で劉備といえば、劉氏の末裔として(自称)、低い身分(庶民?)から成り上がりました。ですので最初から固有の領土を持っていません。物語を作る上で誰を主人公にするのが面白いか、庶民ウケするかを考えると劉備でしょうね。

あと、魏・ゴ・蜀で魏が統一を果たしましたが、曹操ではなく曹操の軍師、シバイの孫が統一しています。

三国志の英雄の三人が誰も天下を取れなかった事が面白い点ではないでしょか?

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